この声きみにとどいて

 

わたしが北山くんに出会ったのはいつだかの少クラでした。披露曲は、「祈り」。
当時のわたしが最初に目を留め、名字が簡単という理由もあり一発で名前を覚えたのが北山宏光くんでした。
パフォーマンスはとってもかっこよくギラギラしているのに、トークの時のかわいい笑顔、見た目に反して少し低い声、小さな身体ぜんぶを使って飾るガシガシのダンスも、すべてがわたしのタイプでした。テレビ越しの一目惚れ。
その頃わたしは録画・ダビングスキルを持ち合わせていなかったので、同じ学校の先輩玉森担お姉さんに DVDを焼いてもらっていました。その時のDVDを、今でもずっと擦り切れるほど見ています。

地方の少し古い考えの母親には、ファンクラブに入るのは自分のお金じゃないとダメだと言われました。デビューよりはるかに後、高校生になるまで待って、兄弟の誰よりも早く始めたアルバイト。そのお金で自分の誕生日にKis-My-Ft2のファンクラブに入りました。青色の振込用紙に、「好きなアーティスト:北山宏光』と書けたのがとても嬉しかった。
遠征に行きたいと言うだけで叱られ、母親と大喧嘩になることもありました。それでも北山くんに会いたくて、友達の家に泊まると嘘をついて行った初めての遠征。そこで運に恵まれ、北山くんとハイタッチをしました。北山くんにとってわたしは何万人といるファンの一人でしかなかっただろうけど、北山くんの暖かくて少し大きい手のひら、優しく微笑む顔も、全部はっきり覚えています。


大学生になるとバイトもたくさん入れ、ひとつの自立という意味でコンサートに行くことはほぼ制限されなくなり、たくさんの地方を回ることも始めました。行ったことがない土地や会場でも、一人で行くことができました。
会場には同じくいろんな場所から集まったたくさんのお友達、そして大好きな北山くんがいたから。
ドームの前、みんなで写真を撮った。スクリーマーズのオブジェができたときは大喜びでカメラを向けた。お揃いの服を着て同じデザインのうちわを座席で振った。ファンサをもらったもらわないで笑って泣いて、公演が終われば居酒屋さんでお酒を片手に当日の感想を喋り続ける。

 

Kis-My-Ft2の北山くんを、Kis-My-Ft2の7人をずっと応援できると思っていました。

2023年の4月26日が来るまでは。

 

その日もわたしは仕事でしたが、在宅勤務だったため吞気に自室でパソコンを叩いていました。気分転換に開いた携帯に映っていたのは「北山宏光 ジャニーズ事務所退所」の文字。
比喩抜きで一瞬、心臓が止まりました。その後に狂ったみたいに鼓動が早くなって、携帯を持つ手が勝手に震えました。信じられなくて飛んだ Twitterのトレンドにも、一番見たくない文字が並んでいました。手の震えは全身に広がって、襲ってくる指先と足先から身体が冷たくなっていく感覚。目の前がぐらぐらと揺れて、湧いてくるのは悲しみではなくただ「動揺」でした。脳が情報を処理できていませんでした。どうして?なにが?どういうこと?そして、その時のわたしにできることなんてほぼ何もないというのに頭の中を回るのはどうしよう、どうすればいいの、でした。


わたしの人生は北山くん基準で回っていました。頂くお給料はほぼ北山くんのために使う。テレビは北山くんが出ているものしか見ないし、北山くん以外にあまり興味がないので芸能人は北山くん(と特定のジャニーズ事務所タレントと声優さん)以外はあんまりわかりません。北山くんに会うため便利になればと田舎の実家を出て少し無理をしても東京に来ました。何なら今年の4月からは帝国劇場に通いやすくなるように日比谷近くの会社に移るまでもしました。仕事をする理由、生きていく目標は北山くんで。わたしの人生が終わる。冗談ではなくそう思いました。

気づけばLINE の通知は友達からの心配のメッセージで溢れていました。普段から仲良くしている友人、もう何年も連絡を取っていなかった知り合いからも。「北山くんの報道を見て真っ先にあんたの顔が思い浮かんだよ」と言われて嬉しい反面、なおさらこんな発表でわたしに連絡をさせたくなかった、と感じました。
そこから Endless SHOCK 初日までは、ほとんど毎日お酒を飲んで泣いて過ごしていたと思います。たった4か月前のことなのに、もうあんまり覚えていないです。


5月の連休最終日。SHOCK の幕が上がって、北山くんの姿を見た瞬間に勝手に涙が出ていました。
圧巻のパフォーマンス、カーテンコールでのご挨拶、そして Overture で「Hiromitsu Kitayama」が写された時の大きな拍手。北山くんが辞めるなんて、俺は信じないからな!ヒロミツの台詞をそのまま奪って叫んでやりたくなりました。
舞台に立つ北山くんは晴れ晴れと堂々としていて、やっぱりやめるなんて嘘なんだよと思う気持ちと、それでも時々見せる儚くて悲しい表情、去年のコンサートでの不自然なふるまいも頭をよぎり、ごちゃまぜになった感情を振り切りたくて帝国劇場に通いました。
SHOCK劇中の台詞をほぼ言えるようになったころには、あっという間に5月は終わろうとしていました。大千秋楽、カーテンコールのご挨拶。嘘だと言って。最後の最後までわたしは醜く北山くんの言葉に縋ってみましたが、北山くんが話す言葉はあまりにも嘘偽りのない、残酷な真実でした。
ああ、この人、本当にいなくなっちゃうんだな。そうはっきりと思えてしまうご挨拶。幕が閉まるその瞬間まで、客席には手を振らずに微笑んで拍手をしていた北山くんの姿が、今も瞼の裏に残っています。


そしてやってきた、2023年6月7日。去年のいつからか、ずっと囁かれていた退所報道。ほとんど信じていませんでしたが、それでも不安になってしまうぐらいに、去年のツアーの北山くんはおかしくて。
導火線の4月26日から、正直覚悟はしていたはずだったのに。北山くんの言葉を見ると、やっぱり涙が止まらなかった。卒業発表のご挨拶の言葉すらもかっこよくて優しくて、ずるいと思いました。こんなことならいっそ嫌いになりたいのに、どうしてここまで来てまだわたしを好きにさせるんだろう。
たくさんのお友達にたくさん慰めてもらっても、北山くんが Kis-My-Ft2 を去る事実は変わらない。本当に悲しかった。北山くんが信じたキスマイを、わたしも信じていたから。北山くんと、キスマイメンバーと、わたしが見ていたものは、いつのまにかすれ違っていたこと。本当に悔しかった。
卒業の発表があった後も北山くんはたくさんの番組にお呼ばれし、そのすべてでわたしを幸せな気持ちにさせてくれました。「Kis-My-Ft2北山宏光です」、そのご挨拶を聞くたびに、この名乗りをあと何回聞けるんだろう、そんなことを思って毎回毎回、泣いてしまうほどに最後まで北山くんの卒業を受け入れられませんでした。


北山くん、Kis-My-Ft2として7人で国立競技場からの景色を見せてあげられなくてごめんなさい。
北山くんがローラースケートを履いて、青空の下で「この時代のチャンピオンさあ掴めナンバーワン」、歌うのが見たかった。聞きたかった。藤ヶ谷くんと一緒に「見上げた空がキレイで 両手を伸ばしてみたけど  いつか届くかな?いつか きっといつか」、このパートを歌うのを聞いて、死んでしまうほど泣きたかった。

こんなことを言うのはおこがましいですが、一緒に見たはずの夢を、叶えてあげられなかったのが一番悔しいです。


それでも、北山くんはわたしにたくさんのものをくれたね。うっとりする歌声、指先まできれいなダンス、一生懸命な MC、わたしたちを見渡して幸せそうに微笑む顔。
満員のドーム会場、ペンライトの海、そのペンライトで浮かび上がるメッセージ、何万人分もの拍手。
北山くんのおかげで行けた素敵な場所や、出会えた大切で大好きなお友達。たくさんの経験。
泣いたことのほうが多かったかもしれないけど、全部忘れられないキラキラ輝く大切な大切な思い出です。

こうして振り返るとなにか北山くんの力になれたのかなと未だに考えてしまうし、たくさんの夢を見せてくれた北山くんに比べるとわたしには何もなくて、今でも自分のことなんか全然好きじゃないけど、北山くんを見つけて、北山くんを好きになった自分のことだけは褒めてやりたい。あなたを好きになれて、わたしは幸せです。

北山くんのお名前の意味は宏く光を与える、で宏光ですが、北山くんの放つ光は間違いなくわたしの進む道を明るく照らしてくれて、ここまで進んで来れました。
わたしは北山くんの笑っている顔が一番好きです。これから先も、北山くんの選ぶ道がどうか希望と光と笑顔で溢れる幸せなものになりますように。一人の重いファンなりに、心の底からお祈りと、応援をさせてください。


北山宏光くん、Kis-My-Ft2 メンバーとして、そしてジャニーズアイドルとして。本当にお疲れさまでした。ずっと大好きだよ!


さよならよりありがとう、心から言えるよ 出逢えてよかったよ。